1年以上もブログの存在を忘れていました。
1年以上あんまり発信しない生活をしてたからかな。
1年以上振りでお伝えするのがこんな内容で切ないけれど、
昨日は母方の祖母のお葬式でした。
祖父母の中で一番最後に他界した祖母は、
可愛い人でした。
化粧品は資生堂が一番、銀座が大好きで、
若い頃はモガ(モダンガール)でした。
わたしは祖母の可愛いと思うものが大好きで、
祖母の家が大好きでした。
戦後のお金のない時代は花嫁修行で培った刺繍や編み物で生計を助け、
可愛いものを生み出したクリエイターでもありました。
アメリカ占領下の日本は、
たくさんの可愛いものを作ってアメリカに輸出していました。
輸出と呼ぶのかはわかりませんが、
アメリカの50'sのポニーテールにふんわりスカートの女の子は、
ボーリングシャツの上に祖母が編んだ花モチーフ付きカーディガンを羽織っていたかもしれません。
97歳の誕生日、わたしは大阪ショーの最中で走り回っていて、
ここ何年も老人ホーム住まいで空き家状態の祖母の自宅の片付けはしたものの、
祖母の誕生日は祝いに行けませんでした。
大事にしていた宝物を処分しながら、
心を痛めたり捨てられなかったり。
100年近い人生の整理整頓をわたしが受け持つなんて。
ぴったりなのか論外なのか。
ある6月の、
輝いた時間の一部を業者に引き取ってもらった日に、
祖母は他界しました。
奇しくも祖母の家に行く際に泊まっていた定宿が
とうとう大きなホテルチェーンに吸収されて名前が変わった日と同じでした。
新しい名前に看板を付け変え、
自動精算機に変わるのを横目に見ながら
関西から早めに戻り、
自分の事務所に着いたときに息が細いと連絡を受け、
一日中祖母の若い頃と会ったような気持ちになっていたわたしは、
2か月ぶりに会った祖母の様子に頭を強打されたような心地でした。
ここ一年は話の出来ない面会も多く、
わたしが誰かわからない日もあったのに、
その日は「明子やで、」と手を握ると頷いてくれました。
「遅くなってごめんね。」というとまた頷いて、
本当は祖母の家を片付けてきたことを伝えたかったけど、
悲しませてしまいそうで口には出来ませんでした。
その次の日、祖母は他界しました。
なんだか、お別れしたつもりではなかったので、
頭で理解できないというか、
葬儀まで本当のことだと受け止められないというか、
終わった後には身体中から力が抜けるような疲れが残りました。
大人になってから大事な人が亡くなるのは初めてだったような気がします。
たくさんの楽しい時間を共有することが出来た人。
ありがとう。